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金融史からみた独立戦争 その1

「ボストン茶会事件」や「代表なくして課税なし」といった出来事は、独立戦争の一面しか示して
いない。アメリカの独立戦争は、イングランド銀行から借金をしないため、金銭的な自立
をめぐる戦いだった。
  
戦争に勝利したものの、共和国の財源は脆弱で、ただちに欧州の銀行家が介入した。
(欧州の銀行家は、財源の8割を提供し、アメリカ政府の政策に口をだすようになった)
ここから、中央銀行をめぐる暗闘の歴史がはじまることになる。
 
大統領で、中央銀行の創設した反対した人物は、主に、ジェファーソン、ジャクソン、リンカーンで
ある(ワシントンも不換紙幣に反対しているようだ)。
 
連邦議会はマネーを印刷する権限を否定した。だが、借りることを否定したわけではない。
そこで、銀行家は憲法の穴をくぐるため、画策を開始する。
 
銀行を設立し、その銀行にマネーを創出する権限を与え、そのマネーの大半を政府に
貸し出し、政府からはその「借用証書」を得る。「借用証書」をマネーとして一般市民に
受け入れさせれば、議会は信用証書(紙幣)を発行することはない。
 
※ドル紙幣というのは、実は借用証書である。
 
合衆国銀行(中央銀行)の青写真はできた。
あとは、どう実現にこぎつけるかである。
 
この構想は、1790年に議会に提案された。
提案した人物は、アレクサンダー・ハミルトン(後の初代財務長官)である。
この提案に猛反発したのが、トマス・ジェファーソンであった。
 
この問題が中心となって、アメリカ最初の政党が結成される。
 
フェデラリスト(連邦主義者)……ハミルトンの考えを支持
反フェデラリスト       ……ジェファーソン派
 
1年にわたる議論の末、ハミルトンを主張が通った。
1791年、連邦議会はアメリカ合衆国銀行に20年の認可を与える。
 
合衆国銀行は資本の8割を民間から集め、連邦政府は2割を出すことになっていた。
この8割を負担したのが、欧州の銀行家だった。
  
金融史からみた独立戦争 その2 へつづく

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